一瞬の想いを永遠に留めるかのごとく

無意識と自意識を紐解くために。主に読書の記録を書き溜めて自己満足する予定。

「だから、生きる。」

つんく♂ 『「だから、生きる。」』 | 新潮社

 

 

私の奥深くにずっとそっと存在し続けているもの。
シャ乱Q。そして、つんく♂
自ら選んで好きになっていったというよりかは、母親からの影響を多分に受けて好きになっていった。きっとこういうことを刷り込みと言うのだろう。刷り込みというと、そこに自らの意思がなかったのかと聞こえが悪くなるかもしれないが、その刷り込みは私にとって心地の良いものであり、感情を掻き立てられるものであり、積極的に享受したいものだった。つまりは、大好きだったのだ。

 

人生で初めて行ったライブもシャ乱Q。ライブというものが言葉では形容しがたい最高のステージであること、生で見たり聞いたりすることで残る鮮明な衝撃、冷めない高揚感を抱きつつも日常生活という現実に引き戻される虚しさ・・・数えきれないほどのいろいろな感情を幼い日の私は吸収した。
今でも忘れられない記憶がある。当時小学1年生の私が母親に連れられて初めてシャ乱Qのライブに行った翌日、朝一番の授業が体育で、体操服を着て校庭で体育座りをして先生の話を聞いていた。そのとき、ふと我に返り「昨日はあんなにも楽しかったのに、1日経ったらこんなにもいつも通りの日々がやってきてしまうのか」と無性に悲しくなった。それほどシャ乱Qからもらった高揚感は絶大だったのだ。目に映る校庭、先生、クラスメイト…そんな平凡な日常の光景をシャットアウトするために、砂をいじりながら下を向き、脳内に残っている前日のライブの映像を必死に手繰り寄せながら「楽しみはあっという間…」と思っていた幼き日の自分。子供らしくなく、実に可愛げが無い。
モーニング娘。が結成され世間から圧倒的な人気を得ていたころ、小学校高学年になっていた私も例にもれず、同世代の女子と「モー娘。好き~」と言っていた類であった。しかし、その心のうちは「つんく♂がプロデュースしてるからええのは当たり前やん」「こんなモー娘。を作れるつんく♂がすごい」というもので、同世代の「モー娘。好き~」とは毛色が違うんだから同じじゃないのよ、が本音だった。またしても、実に可愛げが無い。

 

そんなこんなで、仕事のつらさも大人の恋愛もまだ何も分かっていないのに「君が先に眠るまでもったいないから起きてる そう明日の仕事とかたぶんつらいんだけど」と、自然と口ずさんで「ええわ~」と陶酔していた小学生の私も少しずつ大人になっていった。いろいろな経験をして興味や関心のアンテナをあらゆる方向に向けていくうちに、趣味嗜好の大部分をシャ乱Qつんく♂が占めるというわけではなくなった。
それでも、社会人になって仕事のストレスを解消しようと一人カラオケに行き、自分の好きな曲を延々歌い続けていくと最後に行き着く先はシャ乱Qだったし、大阪に転勤になり御堂筋を歩きながら出勤しているときは「御堂筋を一人歩く ほれた女と待ち合わせ」と心の中で小さく歌っては「まさにここ!待ち合わせじゃなくてただの出勤やけどな!」と思いながら嬉しくなったものだ。

 

こうして振り返ってみると、四六時中ずっと自分自身のそばにあるものではなかったかもしれないけれど、私という人間を構成する根っこに、素敵なものとしてシャ乱Qつんく♂が鮮明にあり続けていたことは間違いない。
きっと、私がつんく♂を好きなのは、つんく♂はいつ誰とどこでこんなことして…などとデータを事細かに話せるというようなことに支えられているものではなくて、幼いころから私にとって素晴らしいことを沢山教えてくれたという思い出や経験に支えられているものなのだろう。

 

そんな私がこの本を読んで、本当にいろいろなことを感じた。華やかな活躍の裏側にあった想像以上の負担、とめどない激務とそれでも必ずやり遂げる責任感、大切な声を失うという選択をするしかなかった状況・・・つらかった。つんく♂自身やその周りの人たちのことを考えると、そして私の中に刷り込まれ記憶され根付いているあの声で本に書かれている言葉が再生されると、どうしても涙が止まらなかった。
けれども、それと同時にやはり凄い人であると思ったし、強いと思ったし、かっこいいと思った。月並みな言葉を並べることでしか感想を残しておくことができないのがもどかしいのだけれど、「かっこいい」という言葉は生き様を形容するための言葉だと心底感じた。この本を読んで、これからも勢いが衰えることなく活躍し続けるだろうと信じられたし、読み進めていくうちにより強い確信になっていった。
つんく♂が声を失ったことはもちろん残念で悲しいことだけれど、それ以上に今まで歩んできた道の素晴らしさや今後歩むだろう道への期待、つんく♂という生き様に対する信頼がある。だから、つんく♂が声を失ったという事実が私を含む多くの人々のつんく♂に対する信頼を左右することはない。

 

そんなつんく♂の姿に胸を打たれて、忙しいと言い訳をしながら自分が本当に割きたいものに時間を割かず、こなすかのごとくただ毎日を過ごしている自分が情けなく、恥ずかしく、ばからしくなった。だから、忙しいなんてくだらない理由で、昔から好きな読書に距離をとっている自分に嫌気がさした。ぐるぐると頭の中で思考をめぐらすだけで何も残していない自分に嫌気がさした。
だから、好きな読書をしてそれに対して自分は何を感じどう思ったかをきちんと自分の言葉で残して、きちんと自分に向き合いたいと思った。だから、こうしてブログを始めてみた。
この本を読んで影響を受け些細ではあるけど新しいことを始めた人がいるということ、その人はつんく♂にすごく感謝しているということ、その人はいろいろ悩みもあるけれど生きることに対して前向きになれたということ。
本当にありがとう。
かっこいいし、最高にロック。